遺伝性膵炎の日記-子どもの膵炎を知っていますか?-

2019年にyahooブログから引越しました。「遺伝性膵炎」カチオニックトリプシノーゲン(prss1)である娘mimi(看護学校1年生:18歳)の病気や生活の記録を綴っています。子どものすい臓疾患患者会「膵の会」の活動も9年目に入りました。連絡先:suikai@outlook.jp★コロナ以降はzoom懇親会・相談会を開催中★

入院(初期)の話①

今日は、最初の頃の、入院のお話を書こうと思います。

mimiちゃんが、最初の膵炎を起こしたのは、3歳半の時でした。
今から、5年前のことです。
今日のように、寒い頃でした。
巷では、インフルエンザが大流行。

お腹が痛くなり、食欲もなく。
(確か、歩けなかった)
夜だったので、市の夜間診療を受診しました。
「お腹が動いていない、胃腸炎でしょう」とのことで、整腸剤が処方されました。
ですが、翌日になっても、一向に回復の兆しなし。

不安になって、川崎病(2歳半)の時にお世話になった、F病院を受診します。
レントゲンを取ってもらい、「便がたまっている」とのことで、浣腸をしてもらいました。
すると、少し痛みが和らいだので、一度帰宅します

翌日のことです。
確か、ジョアを飲んだのだと思います。
そうしましたら、震えて「痛い!」と言い出しました。
慌てて病院に電話をして、再受診します。
詳しく検査をするために、入院することになります。

点滴、採血、エコー。
エコーの先生がmimiちゃんの膵臓を観て、
「腫れている感じもしないけれど、採血結果からは膵炎だろう」
と、言われたのを覚えています。
そして、しばらく絶飲食で、点滴での治療となります。

しかし、この時はすぐに回復します。
食事もすぐに、常食を食べ、特に問題も無く。
確か、5日くらいで退院したと思います。
退院後も、すぐに普通の食事をしました。

1ヶ月後、MRIも撮りますが、問題なし、とのことでした。
「たまたま、なっただけだと思うよ~」
そうドクターに言われて、一安心。
そして、mimiちゃんもママも、すっかり「膵炎」のことは忘れてしまうのです。
8ヵ月後までは。


二回目の膵炎は、4歳2ヶ月の時に起こります。
茨城のおばあちゃん家に伺ったときのことでした。

同じく、腹痛で食事が出来なくなり、休日診療を受診します。
念のため、「一度、膵炎にかかった」と話しましたが、
「でも、これは違うでしょ?お母さん?」
と、言われ、整腸剤が出て、帰宅。

夜になって不安が残り、今度は大きい病院を受診します。
たくさんの人が待っていました。
このときも、mimiちゃんは、歩けなかったと思います。

若い男の先生でした。
「一度膵炎を起こしている。」
そう話すと、背中の方も触診してくれました。
「う~ん、膵炎って、もっと激痛なはずだ。」←前の病院でも言われました。
念のため、尿で、リパーゼを検査することに。
結果は、問題なし。
無事、帰宅となります。

「良かったね、明日、東京に帰れるね!」
そう話しながら、おばあちゃん宅に帰宅します。

すると、夜中に、パパとママの携帯に、何度も着信が。

実は、「リパーゼの数値が大きすぎて、機械が読み取れなかった」
のことで、ドクターが慌てて何度も電話を掛けて下さったのです。

受診の際、ママは、東京の自宅の電話番号しか、受診メモに書いておりませんでした。
そして診察のときに、1度だけ、「東京のF病院に、膵炎で入院した」
と話します。
それをドクターは覚えていて下さって、F病院に問い合わせをしてくれて、
ママとパパの携帯番号が分かることになります。

そこまでドクターがして下さって、とてもビックリしましたよ~。
そして、mimiちゃん、翌日朝一で入院することになります。