遺伝性膵炎の日記-子どもの膵炎を知っていますか?-

2019年にyahooブログから引越しました。「遺伝性膵炎」カチオニックトリプシノーゲン(prss1)である娘mimi(看護学校1年生:18歳)の病気や生活の記録を綴っています。子どものすい臓疾患患者会「膵の会」の活動も9年目に入りました。連絡先:suikai@outlook.jp★コロナ以降はzoom懇親会・相談会を開催中★

きたきつねクンの膵炎講座➁メンタルケア~親の心構え~

きたきつねクンの膵炎講座➁・・・・さっそく番外編 
 メンタルケア~親の心構え~

 Mimiママさんからメンタルケアについて取り上げて欲しいとリクエストされました。確かにメンタルケアは皆さん大きな悩みですね。自分自身試行錯誤の連続で、いまだにこうした方がいいよなんてとてもいえません。ただ、これまでどんな考えでこの病気とつきあってきたか紹介しましょう。

 自分は30過ぎるまでは、半年に1回くらいAMYがあがりお腹が痛くなるので、膵炎になりやすい体質なんだなという自覚はしていました。当時は遺伝性膵炎があるなんて知られていなくて(世界で初めて報告されたのが1996年)、ただ、体質的にアルコールと油に気をつけた方が良いよくらいで、胃腸炎がたまたま膵臓でおこったくらいの認識でした。(今から思えば、痛いのは我慢するというのが当たり前と思っていたのかも知れません。)だから子どもが遺伝性膵炎とわかって、さらに国内で数家系しかないと聞かされてても、それがどうしたの?という程度の受け止め方でした。

 ところで皆さんは、乙武さんの『五体不満足』を読んだことありますか?手足がない不幸を嘆いてもおかしくないのに、「個性の一つに過ぎない」との割り切った考え方、あっけらかんとして、とてもショックを受けました。ヘレンケラーは「不自由はあっても不幸ではない」といったそうですが、二人ともすごいですね。それに比べたら、膵炎は、ほんの少し食事に偏りがあって、痛くなったら入院しなければいけないという制約があるけど、それ以外は普通の人と変わらないから、ずっと恵まれているなっていう思いです。子どもが入院した小児科病棟には、院内学級があって、ずっと病院生活が続いている子が何人もいました。クローン病で何ヶ月もの間、何も口に出来なかったりするんですね。うちの子は、もっと大変な子がたくさんいて自分が特別不幸なわけではないと感じていたのでしょう。
  学校には特別な扱いは求めませんでした。ただ、さすがに油ギトギトの揚げパンは食べれないので替わりのものを持たせること(実際には揚げる前のパンを用意してもらいました。)や油が多いもの(フライの衣、脂身など)を残しても仕方がないこととして理解してもらうことだけはお願いしました。最近の小学校は、アレルギーショックが問題になったり、人権教育が進んで、個性を大切にしようという姿勢がはっきりしてきているから、過剰なくらいに気を遣ってくれたと思います。
 小学生の時は、痛いのが治るまで入院していれば良いだけでしたが、中学生になると高校進学を避けて通れません。(東京近郊だと中学受験も当たり前みたいなので小学生から競争にさらされるから大変ですね。)あまり休んだら勉強について行けなくなります。公立高校受験では内申点が左右するので、定期テスト対策も欠かせません。学校によっては、学習の動機付けのために試験結果を大々的に取り扱う(順位、偏差値)ことで、どんどんとプレッシャーを掛けてきます。そんなこともあって、試験前に限って痛くなったりするんですよね。入院中、本当は休んだ分だけでも自習をしてもらいたかったけど、好きにさせていました。こんなときは、学校が病気を考慮してもらうよう掛け合うのが親の役目!?と思うのが普通なのかな?でも、成績に拘る親の姿を子どもに見せる方が、子どもには余計なプレッシャーを与えるような気がしました。もっとも、中学の先生はいわなくてもきちんと見てくれていました。それに、自分たちの時は相対評価だったけど、いまは絶対評価にかわっているので、配慮も受けられやすいでしょう。
 子どもは最近も腹痛を起こすことあります。その前に何をしたか聞くと、痛くなるべくして、なっているとしか思えません。はっきりいって「馬鹿ヤロー」と思うことばかりです。ただ、未来永劫親の庇護下におけるわけではないですね。学校出たら独立して生計を立てなければなりません。あーしろ、こーしろではなく、自分で判断し行動できるようにするための勉強と割り切っています。自然体で、「なるようになるさ」というのが、私のモットーです。
 ただ、少々突き放しすぎたかなと反省もあります。自分で考えて治すだけでなく、家族の下にいるという安心感は、何事にも代えがたくとても治癒力を高めるようです。